寒川町観光協会ブログ

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寒川の弥生時代

2013.11.2~2014.3.29
寒川町文化財学習センターにて
企画展「寒川の弥生時代」を開催しています。
ここでは、その一部をご紹介します。

弥生時代と寒川
d0239667_1252775.jpgd0239667_12523243.jpgd0239667_1310958.jpg弥生時代とは、今から2千数百年前から、1,700年前ごろまでの時代をいいます。弥生時代といえば稲作を初めた文化を思い浮かべるのではないでしょうか。または魏志倭人伝(ぎしわじんでん)に出てくる卑弥呼(ひみこ)を思い出す方も多いでしょう。
弥生時代の前の時代、縄文時代は自然を利用した狩猟採取が主でした。しかし、縄文時代の終わり頃、世界的に気候が寒冷化し、そのような生活を営むことが困難になり、そのため、人口も激減していきました。
寒川でも、縄文時代中期の大集落の岡田遺跡が確認されていますが、縄文時代終末の晩期の遺跡は確認されておらず、ほとんど人がいない時代があったのではと考えられます。
そのような背景のなか、大陸から稲作の技術を持った人々が日本列島に渡ってきました。
水稲耕作は北部九州から始まり、しだいに列島に伝播し、各地域に根付いていきました。そのため、弥生時代の始まりは地域により差があります。
神奈川県の弥生時代のはじまりは、前期後半{大井町 矢頭(やがしら)遺跡跡 等}から、寒川は中期後葉(倉見才戸遺跡・岡田西河内遺跡)からとなります。
水稲耕作は農地へ水を供給するための潅漑(かんがい)施設が必要でした。そのため、組織的協同作業が必要となり、一部地域で階層化が進んだり、本格的な争いが行われるようになったと思われます。方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ)という四方を溝で囲んだ大きなお墓の出現や、ムラを防御するため、ムラの周囲を囲む溝(環濠)を持った環濠集落の出現はそのあらわれでしょう。
県内では中期(Ⅲ期)の小田原市中里遺跡で方形周溝墓や環濠の役割を持つと思われる河道で囲まれた集落が確認され、本格的な稲作が始まりました。
寒川では中期(Ⅳ期)の倉見才戸遺跡で環濠集落が確認されました。
その後県内では中期(Ⅳ期)の後、後期(Ⅴ期)初頭に急に遺跡が見られなくなります。理由は明確ではありませんが、なんらかの自然災害が県下を襲ったのではないかという考えもあります。
綾瀬市吉岡の後期(Ⅴ期)神崎(かんざき)遺跡から南北103m、東西65mの環濠を持つ集落が確認されました。注目されたのは、出土土器のほとんどが三遠地域(三河と遠江・現在の愛知県東部から静岡県西部)のものと酷似するものだったことです。このことにより、遺跡が激減した県内に東海地方から入植があったことがうかがえます。
神崎遺跡は寒川のすぐ近くであり、寒川からも後期(Ⅴ期)の高田遺跡宮山遺跡、倉見才戸遺跡、大蔵東原遺跡等から三遠地方の影響を受けた土器がみられます。また、同時期の岡田遺跡の方形周溝墓から、尾張・三河地区で見られるパレススタイル土器をかなり忠実に模倣した壺が発見され、同地区との交流がうかがえます。
その後、ムラからクニへ。そしてクニを束ねた中央集権国家の登場により古墳時代へと移っていったと考えられます。

岡田遺跡(寒川町No.45遺跡)
d0239667_12585516.jpg相模川の支流にあたる目久尻川(めくじりがわ)と小出川に挟まれた相模野台地上に所在する遺跡です。縄文時代中期の大集落として有名ですが、後期(Ⅴ期)の方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ)が4基、住居址も数件確認されています。特に4号方形周溝墓からは、尾張・三河地方で見られる「パレススタイル土器」をかなり忠実に模倣した土器が出土しています。同地方との交流をうかがわせる土器です。(本場の土器と違う点は、白い化粧土を塗っていない、口こうえん縁 部内面の羽状をなす刺突が浅く細い、外面の山やまがたもん形文の上下に巡る列点が厚みのないハケ状工具を使ったために本来の涙形になっていない、などです。しかし、一目見て、誰もが「パレススタイル」とわかる仕上げになっています。尾張・三河地方との交流をうかがわせる土器です。)
弥生時代の調査は部分的で、その広がりはまだ不明な点が多いです。

倉見才戸遺跡(寒川町No.6遺跡)
d0239667_1393585.jpg相模川とその支流にあたる目久尻川に挟まれた丘陵上に位置する遺跡です。
中期(Ⅳ期)と後期(Ⅴ期)に環濠集落址(かんごうしゅうらくし)が確認されています。
中期の住居址は総計30軒近く確認され特に中期の大型住居からは当時としては貴重な玉類などの装飾品や、精巧な作りの高坏(たかつき)や磨製石斧(ませいせきふ)、また珍しい鉄製品などが出土し、この時期の拠点集落とも考えられます。


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←方形周溝墓出土遺物


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←弥生時代中期の遺跡・環濠集落


高田遺跡(寒川町No.50遺跡)
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相模川の支流にあたる目久尻川と小出川に挟まれた相模野台地上に所在する遺跡です。
後期(Ⅴ期)の環濠集落や、方形周溝墓等が発見されています。環濠上層から多くの土器が発見され、その特徴から東海地方の影響が見られる土器が多く確認されています。発掘や試掘調査の結果、中心となる環濠集落址以外にも、周辺から多くの住居址(20軒以上)や、環濠と思われる溝も確認されています。南側に隣接する高田南遺跡を含め台地の一角をかなり広範囲に展開している遺跡と考えられます。
また、土器の観察により後期前葉から後葉にかけ、比較的長い期間集落が存在したものと考えられます。

宮山遺跡(寒川町No.14遺跡)
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相模川の支流にあたる目久尻川と小出川に挟まれた相模野台地に所在する遺跡です。
後期(Ⅴ期)の環濠集落及び方形周溝墓群が発見されています。方形周溝墓群が集落をはさみ南北に展開しており、遺跡のひろがりを考えなければならないでしょう。また、遺跡際北端には、町内では唯一の弥生時代後期から古墳時代初頭にかけての大型方形周溝墓が確認されています。

大蔵東原(寒川町No.39遺跡)
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相模川の支流にあたる目久尻川と小出川に挟まれた相模野台地に所在する遺跡です。
後期(Ⅴ期)の方形周溝墓(15基ほど)や環濠集落(住居址15軒ほど)が確認されています。
東に環濠集落、西に方形周溝墓群と比較的明確に集落と墓域が分かれていることがわかる遺跡です。

パレススタイル土器
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弥生時代後期の主に尾張・三河地方(現在の愛知県周辺)に分布する大変美しい土器です。
その形も多岐にわたり、壺や高坏、ワイングラスのような形状もあります。
白い土で形作り、櫛描き(くしがき)や刺突(しとつ)で文様を描き、それ以外の無文部は赤い塗料で塗られています。
岡田遺跡4号方形周溝墓から出土した展示土器は代表的なこのスタイルを忠実に模倣したものです。

重要文化財 指定名称:壺形土器
(このような土器は、ギリシャのクノッソス宮殿から出土した土器の優美さにも匹敵するところから「パレススタイル(宮廷様式)」とも呼ばれている。)
http://www.emuseum.jp/detail/100576/000/000?mode=detail&d_lang=ja&s_lang=ja&class=&title=&c_e=®ion=&era=¢ury=&cptype=&owner=&pos=801&num=2

朝日遺跡インターネット博物館(パレススタイル土器)
http://www.pref.aichi.jp/kyoiku/bunka/asahi/collection2-2/index.html


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←各時代と寒川の遺跡

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←年表

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文化財学習センター


[参考資料]
2011年度かながわの遺跡展・巡回展 弥生時代のかながわ
http://ch.kanagawa-museum.jp/tenji/maibun/highlight/highlight_html/2011yayoi_highlight.html

国指定史跡 神崎遺跡
http://www.city.ayase.kanagawa.jp/hp/page000021300/hpg000021232.htm


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by samukawa-ssas | 2013-11-02 09:00 | 観る | Comments(0)